惜しまれながら今年亡くなったソニア・リキエルさん。「ニットの女王」と呼ばれ、数年前にはH&Mとのコラボレーションも話題になりました。今回はそのブランドの誕生秘話についてご紹介します。
偉大なデザイナー ソニア・リキエルについて
- 1930年、フランスのパリに5人姉妹の長女として生まれる
- 母はロシア人、父はルーマニア人の時計職人
- 17歳のときにパリのテキスタイルショップでウィンドウディスプレイのデザイナーとして働き始める
- 1953年に服のブティック「Laura」のオーナー、サムと結婚し1男1女をもうける(サムとは後に離婚)
- 1962年の妊娠中に着たい服がなかったため、自分でデザインを始める
- 1965年に自分の会社を作り、1968年にブティックをオープンさせる
- 1988年レディースウェアにとどまらず、メンズウェアにも進出
- 2016年長年患っていたパーキンソン病により、86歳で死去
ソニアさんはブランドをレディスファッションだけでなく、メンズ、子供服、アクセサリー、化粧品、フレグランスにいたるまで展開をしました。また、デザイナーとしてだけではなく、おとぎ話や小説などの本を書いたり、映画や歌に関わったりと多岐にわたって活躍されました。
そして、フランス文化省から芸術文化勲章を受勲したのをはじめ、生涯に渡り多くの賞を受賞しました。
ブランドをはじめたきっかけ
結婚して、奥さんになり、ママになっていたソニアさんがブランドをはじめたきっかけ、それは「着たい服がなかったから」です。特に妊娠中は着やすくて、動きやすい服が着たいのに当時のレディスウェアは素材や機能性に優れたシンプルな服がなかったのです。
そして、ソニアさんはまず、イタリアの会社を使ってワンピースとセーターを作りました。そのセーターは動きやすいようにアームホールを高い位置でカットし、身体にフィットして伸び縮みするよう素材を工夫しました。その実用的でモダンなデザインは瞬く間に友人の間に広がり、「Poor Boy Sweater」として知られるようになったのです。
ソニアさんはそのセーターを夫の経営するブティックで売り始めたところ、なんとフランスのエル(Elle 雑誌)のカバーになり、女優のオードリー・ヘップバーンさんが全14色を購入したそうです。
素晴らしいスタートですね。そこからソニアさんは自身の名を冠した会社を立ち上げ、ブティックを始めることになるのです。
まとめ
- ソニア・リキエルさんは妊娠中に着たい服がなかった
- 自分の悩みを解決する服を作ったらそれが大ヒット
- 周りの環境やサポートしてくれる人は大事だが、自分の行動がないと始まらない
「ほしいもののイメージはあるけど、買い物に行っても見つからない」ということは経験された方もいるのではないでしょうか。「なかったら自分で作りたい、でも不器用だし設備もないしできない」といった場合、必ずしも物理的に自分で作らなくても自分のブランドはできるんですね。
次回は
- ものづくりの仕組み
- 自分のデザインを外注
についてまとめたいと思います。
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